ブログ

“ハレの日パーク”

ハレの日マーク

新しい時代が始まった。改元という節目の日の今日は日本にとってこれ以上ないハレの日である。昭和から平成への改元は悲しい昭和天皇崩御の後であったのでお祝い気分もそこそこだったが今回は実に晴れやかな新しい時代の始まりである。

平成が終わる昨日は、亡くなった父・祖父・伯父・伯母・叔母そして日本青年会議所に出向した時の寺田委員長のことが走馬灯のように自然と思い出された。

みんな、存命であったらどのように喜んだかと、どのようなワクワクした気分でこの節目の日を迎えたのだろうかと考えた。

思えば、私もそこそこ長く生きてきたと思う。長く生きてきたらこそわかったのは、それぞれの時代に生きた人々の役割である。人は時代の影響を受けて生きているし生活をしている。時代の流れ無視しては生きてはいけないことは明白である。

昭和の時代 前半は戦争の時代であった。無論日本だけではなく世界中が戦争の時代であった。そして後半は我が国では戦争からの復興を成し遂げるために人々は必死で働いた。戦争で無念な死をとげた血縁縁者・友人達の分までも働き続けた。その結果めまぐるしい高度経済成長を成し遂げて人々は豊かになった。そしていつの日か経済成長こそが我が国の目標となっていってしまった。

平成に突入した当初は金満大国となり心を忘れた経済成長に有頂天となっていった。そんな我が世の春は一気に奈落に落ちその後、「夢よもう一度」として同じ経済成長を夢見ては失敗の繰り返しでもがき続けていた。そんな人々のもがきに大地も反応をしたかのように自然災害が多発した。また平成という元号の名のとおり、少なくとも我が国では戦争がない時代であった。それはとても喜ばしいことである。ただしこの戦争のない30年は、誰しもが戦争をしないよう、他国と争うことのないように努力に努力を重ねた結果であったと平成が終わった今強く思う。これは並々ならぬ努力の結果だったのと。国民の戦争回避の強い思いがあってこそのものであった。ちょっと意地悪く言えばその結果他国の、特に我が国より軍事力の強い国の顔色を気にしすぎていたと思う。日本の国柄を尊重するよりも他国の影響優位となってしまった。

さてさて、これからの令和の時代について私の時代に即した役割を述べておきたい。

私の親は大東亜戦争の時に青春時代を過ごした世代である。私はいわゆる戦争二世である。そしてこれから社会を担っていくミレニアム世代は戦争の話さえ聞いたことのない世代である。さらにミレニアム世代から次のもっと若い人材も育ち始めている。彼らが伸び伸びと思いっきり活躍する社会を作るために、私は「橋渡しをする」つまり、「時代をつなぐ役」に徹底していきたいと考えている。

戦争を絶対に起こさせず、戦争に巻き込まれずに、世界で認められる日本になるために・・・。こんな念いをつなげていくことこれが私の役割であると令和の幕明けの今日そのようなことを考え気持ちを新たにした。

お問い合わせ

メールでお問い合わせ