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“ハレの日パーク”

ハレの日マーク

ハレの日製作所は次世代へ「思い」を届ける会社です。

自粛期間中、家の片付けを週に1度している。住んでいる町は1回のゴミ収集が4袋までなので、生活ごみを1袋と考えると、断捨離のゴミ出しは実質45リットルを3袋が限度だ。

ちなみに住んでいる町は燃えるゴミ”は玄関前に置いておけば取りに来てくれる。

従い、一軒家の場合、ゴミの量が厳守されるというわけ。

ちなみに、収集前にカラスが荒らしたら、玄関前がゴミだらけとなるので、各家庭でゴミの出し方は自ずと荒らされないよう工夫をしている。

自粛前から少しづつ捨てているので、おそらく今年に入ってから捨てたごみの量は1トンを超すと思われる。

長年住んでいた家なので、私のものだけではなく、約20年前に他界した父のモノも、母が捨てるのをいやがったので大量に残っている。

母が万が一、家に戻ってきたら、思い出のものが無くなっていてはがっかりするだっろうと思い、父のものは目立たぬよう少しづつ進めているのでなかなかはかどらないのが現実だ。

さて、ゴミをまとめてすごく思うのが、それらゴミは自分で購入したものが8割、いただきものが2割の割合だ。この8割の自分で買ったもののゴミ袋を眺めると、商品がブランド化され、購買意欲を消費者にこれでもかと促し、消費を循環させるのが個人消費における資本主義だったのだと実感した。人々がより便利に生活ができるよう、企業は次から次へと新しい製品・商品を世の中に送り出した。それにあおられ、のっかり、効率化、便利さを求めた結果、それまで使われたモノは忘れられてゆく。すぐゴミに出せばきっと気がつかなかっただろう。我が家のように昭和の「モノが大事」と思っている家族がいると捨てるのに抵抗があった。モノにあふれた家なので、今回このようなことを実体験として考えるきっかけとなったのだ。

若いころは、やはりブランドものを追っかけ、ある意味、ブランドものを買うためにいただいたお給料の中の一定の割合を捻出していた。それを今こぞってゴミ袋に入れていると、本当に無駄だった・・・と正直虚しくもなった。

もちろん、その過程で経済は成長をし、消費が循環をしていた結果、私もその恩恵を授かって今まで過ごしてきたことには間違いの無い事実だ。今までの生活を否定するものではない。

でも、これからは明らかに違うと思う。コロナによる自粛生活で、「本当に必要なもの」が見え始めてきた。それは決して「モノ」ではないのだ。

モノ消費が間違いなく控えられるこれから、どのように経済が成長していくのか・・・。

その答えを探さねばならない。

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