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“ハレの日パーク”

ハレの日マーク

ハレの日製作所は家紋の由来についても調査します。

冒頭の、「家紋はおうちのロゴマーク」に?と思ったことでしょう。

皆さん、ご自分の家の家紋すぐ言えますか?

家紋を意識するのは、今では和装のときくらいでしょうか?

正式な場所で着る和装には家紋が入っているお着物を着ますよね。男性にはあまりなじみがないかもしれませんが、お茶のお稽古をされていて和装をされる方ならよくおわかりかと思います。あとはお墓でしょうか。お墓には家紋が掘られていますね。お墓参りをする時意識するかどうかは人それぞれだとは思いますが。。。

家紋を意識することも減り、もう家紋など要らないものとなってくろかもしれません。ですが家紋を調べると、家系のいろんな歴史をかいま見ることができるのです。そして、何故家紋がおうちのロゴマークかも含め、今回からはそんな家紋のお話をシリーズで書きますね。

1 そもそも家紋とは、いったい何?

皆さんは、自分の家の家紋が記されたものを何か一つでも持っていますか?戦前は旧民法の下、「家制度」が存在しており、自家の家紋が入った紋付袴が日本の正装とされていたため、家紋付きの着物や羽織、小物など多く見られ、仏壇に家紋が付いているご家庭もあると思います。しかし戦後から日本で西洋化が一段と進んだ結果、家紋は古典的なものとして考えられるようになり、今では家紋が入っているものといえば墓石が代表的なものになっています。さらに昨今ではお墓を持つ方も減ってきているため、自分の家紋が入っているものを一切持たず、自分の家紋がわからない方も相当数いらっしゃいます。家紋とは先祖から代々伝えられてきた家を表す紋章で、今風に言えば「我が家のロゴマーク」です。一方、「田中」という名字の方が皆同じ家紋というわけではなく、同じ名字でも出身地や家系・家業などによって様々な種類の家紋が伝わっており、名字は違っていても同じ家紋が伝わっている家も多く存在しています。そういったことから、家紋は名字と合わせて自分の家系やルーツを実感できる親しみやすいシンボルになっています。

2 家紋の由来とその歴史

それでは、いつの間にかある自分の家の家紋はいつの時代から、どのような経緯で生まれたのか、由来をご存知でしょうか。自分の家の家紋にも由来があり、長い歴史があります。この記事では、大昔に生まれた公家・武家・庶民の家紋のルーツについてさかのぼり、その由来と歴史について解説します。古くから伝わる我が家のシンボルマークである家紋。その種類は6000種類とも、さらに細かい紋様の違いまで区別すると2万種類もあるといわれています。では家紋はいつどのように発生したのでしょうか。家紋の由来・ルーツを深く探るためには、家紋が生まれる前の文化から目を向けていく必要があります。では早速、家紋の由来から、日本の歴史の中で家紋はどのような役割を果たしてきたのか、家紋の歴史について紹介していきます。

2.1 日本に古代から存在する「文様」

日本に家紋文化が生まれるずっと前から、文様(もんよう)は長く使われてきました。一番わかりやすい文様は縄文時代からお馴染みの「土器」です。縄文土器や弥生土器に見られる文様・造形は多種多様で、考古学者の間ではそれぞれの文様に意味があったともいわれています。つまり日本では、家紋が生まれる前から作り出すものに文様を用いる「文様文化」があり、そのことが家紋の発生にもつながっていくことになります。その後、中臣鎌足が中心となり大化の改新が行われ、律令国家が成立した奈良・平安時代になると、朝廷に仕える貴族(公家)達が、自分好みの「文様」を装飾としてあしらった衣服や家具等を使うようになったのです。このことが家紋が生まれる一つのきっかけになりました。

1.牛車の車紋が由来とする説

1つ目は牛車に使われていた文様が転じて家紋になったという説で、家紋の由来についてはこの説が最も一般的です。源氏物語にも描かれる平安時代の「車争ひ」は、たくさんの牛車が停める場所を従者達が争う様子が描かれています。当時の公家たちにとって、牛車は自分のステータスである一方、自分の車をいち早く見つけ出すための目印も必要でした。そこで自分の牛車に自分好みの「紋」という目印をつけ、さらに優美なデザインで周囲に権威を誇示した、それが家紋の由来とされているのです。西園寺家が牛車に鞆絵(巴)を、徳大寺家が木瓜を、近衛家が牡丹を使っていたとされていますが、後にいずれもその家の家紋とされています。

2.衣服の文様を由来とする説

2つ目は公家が着用していた衣服の文様です。久我家では好んで竜胆だすきという文様を使ったとされていますが、後にこれを家紋としています。自分が好む文様(デザイン)が他が認める正式な家紋になった例といえます。

3.その他の理由があるとする説

最後は、何らかの特別な「理由」や「ゆかり」により家紋となったという説です。例えば菅原道真は「梅」を大変愛していたとされていますが、菅原家の家紋が梅鉢紋であるのも、先祖を偲んでという「理由」がルーツとされたものです。このように、公家の家紋には様々な由来があり、その理由を1つに絞ることも難しいものです。当時に家紋を作る必要があってわざわざ作ったようなものではなく、装飾の延長から自然発生的に生まれたのが家紋だったため、その発生の仕方も様々だということになります。ただ、全てに共通していることは、その家になんらかのゆかりのある文様やモチーフを用いたデザインが後に正式な家紋になったということです。このことは、天皇と皇室を表す紋章で広く知られている「菊花紋」が、鎌倉時代の天皇である後鳥羽天皇が菊の花をとりわけ好み、天皇家のあらゆる調度品に菊の紋を使用したことが由来とされていることからも感じ取れます。

最後まで読んで頂きありがとうございます。

次回は、家紋はいつから使われていたのか、そして武家の家紋の由来についてお話を進めていきます。

引用

https://ka-ju.co.jp/column/origin_of_family_crest>

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