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“ハレの日パーク”

ハレの日マーク

明治時代に名字・家紋は一般化

徳川慶喜が政権を天皇に返上したことで幕府が終焉し(大政奉還)、明治維新とともに王政復古がなされると、封建制が解かれ、全ての庶民が名字を定めて名乗ることとなり、「家」に対する一体感がより一層強くなりました。初めて本格的な戸籍が編製されたのも明治5年のこと。まだ家紋を決めていなかった者も、名字とセットのように家紋を決め、礼装や墓石などに印すようになり、この頃にはほとんどの国民が自家の家紋を持つようになりました。

一方、明治新政府は皇室の象徴である「菊花紋」の使用を禁じる太政官布告を何度も出したことで、江戸時代に落ちてしまっていた菊紋の権威が徐々に復活していきました。

明治初期には「菊は栄える、葵は枯れる」という流行歌があったことからも、当時は徳川の葵紋の権威が落ち、皇室の菊紋が復活を遂げた様子がうかがえます。

戦後にいたっては「菊花紋章」の使用を禁じる法律は存在しませんが、今でも菊紋が皇室の事実上の紋章とされ、宮家ごとに優美な菊紋が描かれています。さらに「十六八重表菊」は慣例として日本の国章に準じた扱いを受けています。かつて皇室の副紋だった桐紋も「五七の桐紋」は日本政府の紋章として、より一般的な「五三の桐紋」は法務省で使われていることから、家紋は日本文化のシンボルとしてまだ生き続けていることになります。

家紋から見えてくる自家のルーツ

歴史を振り返りながらこうして見てみると、家紋は時代を映す鏡ともいえるのではないでしょうか。家系図作りやルーツ探しについても、古くから伝わる家紋に着目することで自分の家系が江戸時代へとつながる糸口が見えてくる可能性もあります。家紋の紋様をじっくり調べると、暮らしていた場所の大名や領主との共通点や、江戸時代の先祖の職業がわかるかもしれません。自分の家の家紋にも由来があり、歴史があります。どこかロマンを秘めた家紋の由来、是非探ってみて下さい。

また名字と異なり、家紋は国の制度で管理されないため、自分が家紋を知らないとその先の子孫に引き継がれず、途切れてしまうことになります。

 

独自の家紋作成

ご自分で独自の家紋を作りたいと思われたら、是非作ってください。それを見せてもらえると嬉しいです。

当社のお客様でもご自分のマークを家紋として家系図に入れた方もいらっしゃいます。それがまたとてもカッコいいのです!企業のロゴマークを見れば、すぐわかるように、独自の個人のロゴマークがあって、それをいろんな場所で使えたらいいですよね。

名刺に会社のロゴマークと自分のロゴマークがあったら・・・名刺交換の時に話題となり覚えてもらいやすいですよね!

 

家紋のお話はこれで最終回です。

全5回にわけてお話しました。

また次回は違う角度から家系図についてお話をさせていただきます。

引用 https://ka-ju.co.jp/column/origin_of_family_crest

 

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