ブログ

“ハレの日パーク”

ハレの日マーク

前回は織田信長のプロフィールをお伝えしました。今回は、織田信長の血縁者のその後と信長の子孫についてお話します。信長の家系図を知るだけでも、信長の戦略や人となりが見えてきます。

 

2 信長の家系図で繋がる、天下を獲ったあの2人

 

それでは織田信長はどんな家系の人だったのでしょうか。織田信長の家系図から、興味深い点を見ていきましょう。まず、有名なところでは信長の妹「お市の方」の存在です。エピソードでもご紹介した通り、北近江(現在の滋賀県)の大名・浅井長政に嫁がせています。その後、信長は浅井家と敵対関係となって幾度となく戦うのですが、1573年に完全に討伐しました。

この際に、お市の方を救出したのが豊臣秀吉。のちに秀吉はお市の方と長政の間にできた3姉妹の長女・茶々を側室として迎え、豊臣秀頼が誕生しました。ちなみに3姉妹の次女・初は関ヶ原の戦いや大阪の陣で交渉役として活躍。三女・江は徳川家康の息子であり第2代将軍・秀忠に嫁いで、第3代将軍の家光を産んでいます。また、お市の方はのちに織田家重臣である柴田勝家の妻となっています。

2.1 徳川家・豊臣家との繋がりがある織田信長

一方、信長の弟・信包の娘・姫路殿は秀吉の側室となっていました。つまり、信長からすると姫路殿・茶々の2人の姪が秀吉の側室となった、ということになります。徳川家・豊臣家との接点が見えてきた織田信長ですが、実は裏切られてた明智光秀との接点もあります。信長の妻・濃姫の父は斎藤道三、母は正室の小見の方でした。小見の方の甥が光秀なのです。つまり濃姫からすると従兄弟という関係。意外と近い存在でした。

以上の通り、徳川家や豊臣家との深い関係も見て取ることができます。信長を殺した人が実は親戚であったなんて、と驚かれるのではないでしょうか。このように個人の意外な側面を見ることが出来るのも、家系図の興味深い点であると言えます。

3 まとめ

 

いかがでしたか? 織田信長の家系は歴史の中でもひときわ輝きを放つ秀吉や家康とも深い関係があったことをご理解いただけたかと思います。家系図は織田信長の子供や両親、婚姻関係なども理解することができます。またそれだけでなく、その婚姻関係の相手などから織田信長がどんなことをして来たのか、さらに信長がいかに冷徹な策士としての行動をしていたか、さらにはどんな人柄だったかまで把握することができます。

このように家系図を作ることは発見の連続でもあります。実はこの偉人が自分の祖先だった、ということはもちろんのこと、先祖の行動を理解するための事実をも感じ取ることができます。ぜひ、あなたも家系図を作成して先祖の方への知識を深めてみてはいかがでしょうか。きっと意外な、興味深い先祖の生き様を知ることができるかもしれません。

 

出典 : https://ka-ju.co.jp/column/oda_nobunaga

お問い合わせ

メールでお問い合わせ