ブログ

“ハレの日パーク”

ハレの日マーク

ハレの日製作所は「名字の由来」についての調査もします。

そもそも、名字はいつから使われているのでしょうか?

NHKのバラエティ番組に「日本人のおなまえっ!」があります。

時間が早いので私はほとんど観ていないのですが、珍しい名字の方やその由来が紹介されているバラエティ番組です。この番組はゴールデンタイム(木曜日 19時半から)に放送されています。副題が、「古館伊知郎が名前の魅力を語りつくす!」。

このような番組もあるので、”名字の由来”について知りたい方も多いのではないでしょうか。

もしご興味ありましたら、ご相談ください。

 

お問い合わせはこちらまで

 

名字の由来についてシリーズでお話します。

1.名字とは一体何?

名字の歴史について触れるまえに、「名字」とは一体何なのか?という点をハッキリさせておく必要があります。現代では「氏」も「姓」も「名字」と名前という意味で用いられていますが、古代(平安時代以前)では氏姓制度がしかれ、「氏(うじ)」と「姓(かばね)」は区別されていました。

1.1 古代の「氏姓」と「名字」は別のもの

氏(うじ)とは

「氏(うじ)」とは「氏族」と呼ばれる血縁集団を表し、各氏族には王権の中で担当する職務が定められていました。古代の大王家(天皇家の前身)を中心としたヤマト王権では、その氏族を「氏」と呼んで管理し、氏族もその氏を名乗っていました。神事・祭祀を担当した中臣氏(なかとみうじ)、軍事や刑罰を担当した物部氏(もののべうじ)等が有名です。「氏」は天皇から与えることもありました。

姓(かばね)とは

「姓(かばね)」は、元々は古代の大王家が氏族に与えた「称号」のことをいい、臣(おみ)、連(むらじ)、伴造(とものみやつこ)、国造(くにのみやつこ)等があります。飛鳥時代になると、天皇を中心とする中央集権制度への改革を目指す大化の改新(646年)の中で、身分制度の整理を目的として天皇家から八色の姓(やくさのかばね)が与えられました。

八色の姓は、真人(まひと)、朝臣(あそん)、宿禰(すくね)、忌寸(いみき)、道師(みちのし)、臣(おみ)、連(むらじ)、稲置(いなぎ)と、文字通り8種類ありました。さらに、戸籍制度が始まったのもその頃で、管理上の必要から庶民にも庶民用の氏姓が与えられました。つまり姓(かばね)は“天皇から授かる”呼び名、称号のことだったのです。

 

このように、古代の日本では「氏(うじ)」は血縁集団の呼び名のこと、「姓(かばね)」は天皇が与えた称号のことだったので、「名字」とは異なるものでした。その後、「氏と姓」は時代が進むにつれ、本来の機能を失っていきます。

1.2 増えすぎた朝臣(あそん)の姓

奈良時代後半になると、八色の姓によって整理された姓(かばね)が形骸化してきてしまいました。有力な氏族のほとんどの姓が朝臣(あそん)になってしまったのです。朝廷に功績のある氏族に対して、褒美として天皇が朝臣の姓を多く与えたことが原因でした。

朝臣(あそん)は皇族以外の臣下の中で事実上一番上の地位の姓だったため、氏族たちは当然、下位の宿禰(すくね)より上位の朝臣(あそん)の姓を名乗るようになっていきました。

1.3 源平藤橘(げんぺいとうきつ)の時代

平安時代になると、朝廷の重要な役職に就く氏族は「源平藤橘」と呼ばれる4つの氏族によって占められることになります。この源氏、平氏、藤原氏、橘氏の全てが朝臣の姓だったため、もはや姓は身分を整理する機能を失っていました。

さらに源平藤橘の中で、藤原氏は朝廷の中で圧倒的な力を持つことになり、「藤原氏」が多くなってきたことで、藤原どうし、お互いの区別がつきづらくなっていました。

引用はこちらから

名字の歴史と由来。自分の名字はいつから始まったのか? | 家系図作成の家樹-Kaju- (ka-ju.co.jp)

次回は平安時代のお名前についてお話します。

お問い合わせ

メールでお問い合わせ