「土地に、物語がある。」
これは、私が強く感じていることです。
人の家系にそれぞれの物語があるように、私たちが今立っている土地にも、幾千年にわたる歴史が息づいています。そんな土地の歴史を調べて、一冊の本にまとめるサービス――それが、新商品《土地物語》です。
でも、そもそも「土地の物語」とはどういうものなのでしょうか。今回はそのイメージをお伝えするために、私にとって特別な場所「洗足(せんぞく・東京、目黒線)」の物語をご紹介したいと思います。
洗足という町のはじまり
私が生まれ育った町、それが東京の目黒線、洗足駅周辺です。
現在では閑静な住宅街として知られる洗足ですが、そのルーツは先進的な都市開発にありました。あの渋沢栄一翁が欧米の田園都市構想に着想を得て、日本でその第一歩として選んだ土地が、ほかでもない洗足なのです。
当時、田園都市開発株式会社という会社が、「田園都市構想」として東京の新しい未来を描きながら、洗足の地を開発していきました。その本社はなんと洗足駅のすぐ近くにあったのです。
洗足は1922年に分譲開始でした。驚くべきことに、皆さんご存知の高級住宅街として知られる田園調布よりも1年早かったそうです。先日お亡くなりになった長嶋茂雄さん邸や著名な知識人や芸能人が多くお住まいで有名です。ただし洗足はちょっとだけ地理的に官庁街に近いという理由もあり、洗足の開発が先行したというのは納得のいく話です。また1923年9月に発生した関東大震災でも洗足地域は頑丈な地盤ゆえ被害がほとんどなかったことから評判を呼び好調な売れ行だったようです。
美しい町並みの記憶
開発当初の洗足は、ただの野原や畑に数本の大木が立っているだけの、何もない場所でした。そこに鉄道を通し、道路を整備し、人々の暮らしが芽吹いていきます。
一区画は150坪から200坪。全ての家には、必ずシンボルとなる木を植えるというルールがありました。私の幼少期には、どの家にも大きな木があって、あるお宅には敷地中央に見事な枝垂れ桜がありました。そのお宅では桜が満開になる季節には、外国の大使館関係者を招き盛大なパーティが開かれ、ライトアップされた桜の美しさと賑やかなパーティの様子に目を奪われたことを今でも覚えています。
大きな区画に立てられた家々は、まさに“御屋敷”。中にはホワイトハウスのような壮麗な家もありました。
時代とともに土地は分割され、今では当時より小さな区画も増えましたが、それでもなお、洗足の住宅街には重厚な高級住宅街の雰囲気が今も漂っています。
なぜ「土地物語」が生まれたのか
このような話は、住んでいた人や、その土地に関心を持つ人しか知ることができない“足元の歴史”です。
しかし、それを知ることで、その土地への愛着や誇りが生まれます。「ここに住んでいてよかった」「この土地にはこんな由緒があるんだ」と思えるようになります。
そうした体験を、もっと多くの人に届けたい。個人の方には実家や新居の歴史を、法人の方には地域ブランディングの素材として──
そんな思いがこもったのが、《土地物語》なのです。
次回のブログでは、地域コミュニティの「洗足会」についてお話します。こうご期待を!
写真は田園都市開発株式会社 本社 出典 Wikipedia
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