前回は、洗足の開発と昔の町並みについてお話しました。今回は「洗足会館と洗足会」についてご紹介します。
さて、洗足の町の発展において欠かせない存在となったのが、「洗足会館」です。この会館こそが、田園都市としての洗足に文化の香りを添え、人々が集い語らう場としての役割を果たしてきました。
つまり、田園都市開発構想によって、野原や畑だった地域に住宅街が誕生し、その住民たちのコミュニティの拠点となったのが「洗足会館」でした。この建物は、著名な建築家・伊藤文四郎氏によって設計されたものです。私の記憶にある洗足会館は、とてもモダンな建物でした。
会館には舞台付きのホールや集会室があり、クラシック音楽の演奏会やバレエの発表会、地域の集会などが開催されました。私自身も幼い頃、小牧バレエ団の教室に通っていた思い出があります。小牧バレエ団は、小牧正英氏※1が率いるバレエ団でした。
洗足会館のようなコミュニティ施設は、単なる住宅街ではない、「人の物語」が生まれる土地へと、町を育てていったのです。
土地の物語を未来へつなぐ
このように「洗足」の歴史を振り返ってみると、ただ「駅が近くて便利」とか「閑静な住宅街」といった表面的な特徴では語りきれない、深い物語がこの土地には流れていることを実感します。
今回ご紹介する新商品「土地物語」は、まさにこのような“土地の記憶”を丁寧に掘り起こし、一冊の本としてまとめるサービスです。
あなたが今住んでいる場所、働いている場所、あるいは大切な人とこれから暮らすかもしれない場所にも、数千年にわたる歴史が眠っているかもしれません。
たとえば、
- ご両親に贈る「実家の土地の歴史書」として。
- ご自身が家を建てようとしている場所の“土地選び”の参考として。
- 地域の魅力を再発見する町内会プロジェクトとして。
- 企業のブランド価値を高める「歴史の見える化」として。
さまざまな場面で、「土地物語」は活用いただけます。
「私たちは、どこに立っているのか」
家の物語が“家系図”であるならば、土地の物語は“地系図”と言えるかもしれません。どんな人がその地に住み、何を築き、どんな夢を描いてきたのか。そこには、時代を超えた人々の想いや営みが折り重なっています。
「洗足」のように、地名の由来が仏教や地形の歴史に結びついている土地※2は、決して少なくありません。
今この瞬間だけでなく、過去から未来へと続く流れの中に、自分の「今」がある――そんな感覚を持つことで、私たちの日常はより豊かに、より意味深いものになるのではないでしょうか。
土地には、物語があります。
あなたの足元にも、きっと語られるべき歴史が眠っています。
「土地物語」を通して、その物語をたどってみませんか?
余談ですが、先日、初代・洗足会館を設計した伊藤文四郎氏の、現在98歳になるご子様にお目にかかる機会がありました。その方は10歳まで洗足で過ごされたそうで、久しぶりに洗足を訪れ、たくさんの思い出が蘇ったと、目を潤ませていらっしゃいました。土地の歴史は、人の記憶や人生にも深くつながっているのだと、改めて感じた次第です。
【参考】
※1 小牧正英(Masahide Komaki, 1911–2006)
小牧正英は、かつて「上海バレエ・リュス」に所属した唯一の東洋人ダンサーであり、戦後の日本に総合芸術としてのバレエを紹介した演出家・振付家です。1946年には日本で『白鳥の湖』全幕を初上演し、22日間のロングラン公演を成功させました。翌年には「小牧バレエ団」を設立し、バレエダンサーの育成に努めるとともに、多くの古典・近代バレエ作品を日本初演。さらに、当時困難とされた海外から世界的プリマを日本に初招致し、世界水準のバレエを紹介するなど、日本のバレエ界の発展に大きく貢献しました。
出典 :小牧正英 Masahide Komaki(1911-2006)
※2 地名の由来について
「洗足」という地名は、隣接する大田区の北千束・南千束と同様に、中世期の「荏原郡千束郷」に由来します。そこでは千束分の稲が貢祖から免除されていたことが由来とされ、免除の理由には、大池(現在の洗足池)が水源地として灌漑に利用されていたため、または「千僧供養」の費用に充てる免田であったため、という説があります。
さらに、「千束の大池」が「洗足池」と呼ばれるようになったのは、日蓮が池上に向かう途中、この池で足を洗ったという伝説に由来しています。「洗足」という地名が広まったのは、「洗足田園都市」という開発によるものでした。
出典:洗足 – Wikipedia
写真は洗足会館 出典 : 洗足会ウェブサイトより
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