Harenohi Blog
“ハレの日パーク”

ハレの日マーク

先日坂戸さつきロータリークラブにお招き頂き卓話の機会を得ました。ハレの日は節目の日でその節目の日を次世代へ発信する日にしませんか?という演題でお話をさせていただきました。
その時に坂戸さつきロータリークラブ飯田会長から川越ロータリークラブの今泉清詞さんのお話を聞きました。今泉さんは今泉記念ビルマ奨学会創設者でミヤンマーへとの交流を通して日本に留学をするミヤンマーの学生の支援をされているとのことです。
今泉さんは現在94歳。第二次世界大戦でかの地にて多くの戦友を失いそして多くの現地の方に助けてもらい命を救ってもらったことからミヤンマーへの支援を続けているとのことです。

以下今泉記念ビルマ奨学会のホームページからの出典です。

「今泉記念ビルマ奨学会は、1989年に埼玉県在住の実業家今泉清詞氏中心となって、第二次世界大戦中にビルマ(現ミャンマー)に従軍した退役軍人の人たちやロータリークラブの人たちの協力を得て、ミャンマーの発展の人材育成になればと、日本に留学するミャンマー人学生を支援するために始めた奨学会です。

奨学会事業に協力している退役軍人の人たちは、みなさん90歳以上ですが、あの過酷な戦場から生きて帰れたのは、自分たちの食べる物にも不自由する中で、我々に食べ物を分け与え、英軍の目を盗んで怪我人を介護してくれたビルマ(現ミャンマー)の人たちお蔭で、この奨学会もその温情に対する万分の一かの恩返しだと異口同音に言います。

奨学会では、定例の会合の他、年に一度研修旅行に行きますが、60年以上前に覚えた片言のビルマ語で話す退役軍人の人たちと敬老精神の旺盛なミャンマーの学生たちの交流は、今の日本ではあまり見られない心温まる光景です。」

この話を聞き、子どもの頃読んだ「ビルマの竪琴」を思い出しました。
映画にもなった物語ですが、第二次世界大戦の際、今はミヤンマーと名前が変わったビルマの地で多くの戦友を失い、そしてミヤンマーの人たちに最終的には助けてもらった水島上等兵の話です。物語では戦争が終わりようやく日本への帰還がかなうことになり多くの戦友が一緒に船に乗るように誘ったのですが、水島上等兵は「私は日本に帰るわけにはいかないのです」として申し出を断り一人ミヤンマーに残ることになりました。
子どもながらに、人間には時として自分がしたいことを我慢し、そしてその後の人生が苛酷であるとわかっていても使命感に突き動かされて行動して生きていくこともあるのだと思ったものです。そしてその崇高な精神に心を打たれたものでした。
ビルマの竪琴を読んでから数十年もの時が流れました。邪念の多い私には今泉さんのような活動は真似のできないことばかりですけど、このような話を聞き深く感銘をしました。この話を拙い文章ではございますがハレの日パークにてお伝えすることだけはできると思い掲載いたしました。今後もミヤンマーと日本の交流が密になり供に発展をしていけるようにそして戦争のない平和な世界の実現を心から希望します。

 

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