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“ハレの日パーク”

ハレの日マーク

「人間50年、下天のうちを比ぶれば夢幻のごとくなり、ひとたび生を得て滅せぬもののあるべきか」これは織田信長が好んで演じた敦盛の一節ですが戦国時代の約400年前の人間の寿命は50年くらいだったのだと思います。ところが現在は人生100年時代になりました。皆様のまわりでも100歳を超えた方がおられるのではないでしょうか。かく言う私の伯父もこの春101歳になりました。従い人間100年時代を身近に感じています。
世間では「長生きリスク」みたいに言われていて本来おめでたい長生きをリスクと捉えてしまう風潮があります。それは健康への不安・経済的な不安・孤独への不安から長生きをリスクとしてしまっていると言われています。
まず第一の健康への不安は医療の進歩により思った以上に長生きすることへの不安です。本来であれば治らない病気も治りそれはそれで素晴らしいことなのですが、一方では延命治療が施されその分苦しみや痛みが続いてしまう場合も生じてしまいます。
第二の経済的な不安は増える一方の社会保障費により定年退職後の年金がこれからも安定的に支給されるかの不安があります。これは特に若い世代に多く、高齢化社会を迎え若い世代が高齢者を支えられなくなる不安です。
最後の孤独への不安は、子供と同居していない夫婦で連れ合いに先立たれた場合の一人生活への不安となります。
このようなことを考え始めたら当然不安でいっぱいになってしまいますよね。
そしてメディアや金融機関も不安をあおるような報道や宣伝にあふれ余計に気持ち的にしぼんでしまっています。
先日、五木寛之さんの「百歳人生を生きるヒント」を読みました。
五木寛之さんは、日本が世界に先駆けて超高齢化社会という人跡未踏の地に入るとして、百歳人生を幸福に、健全に生きることのできる社会システムや思想や哲学をどう築き上げるかがこれからの課題だと書いています。
そうなんですよね! 今の状況では長生きをするリスクが多く語られています。 例えば終活。勿論財産管理やお葬式やお墓についての希望や延命治療についての希望を書き留めておくことを否定するつもりはないのですが、今の時代死んだあと子供に迷惑をかけたくないからというなんか縮こまった思想もそこにはあるように思えてなりません。育ててもらった親の最後の片付けくらい子供がしてあげて当然なのに・・・って思います。

それはさておき五木寛之さんは定年退職後の人生をおまけの人生にしてはいけないと書いておられます。そしてそのために100歳の半分の50歳からの準備が必要だと書いています。
概略は、
五十代の事始めーこれからはじまる、後半の下山の人生を生き抜く覚悟を、心身共に元気な時期から考えはじめる時期。
六十代の再起動ー五十代で想い描いた下山を、いよいよ実行する時期。実際にこれまでの生き方、生活をリセット。
七十代の黄金期ー下山の途中で、突然あらわれる平たんなな丘のような場所を充分に楽しみ、活力を補充する時期。
八十代の自分ファースト ー 社会的しがらみから身をひき、自分の思いに忠実に生きる時期。
九十代の妄想のすすめーたとえ身体は不自由になっても、これまでに培った想像力で、時空を超えた楽しみに浸る時期。

確かにサラリーマンの場合、例えば65歳で定年を迎えた場合100歳まで残り35年もあります。この貴重な35年間をいかに充実させるかが大きな課題となります。終活の理念や概念とはちょっと違う方向性の思想なり哲学が必要となります。
人生100年時代の新しい価値観であり理念。ハレの日製作所では五木さんの考えに全面的に同意をして「70歳代の黄金期」を迎えるために、50歳代から第二の人生に向けたライフプランを提唱します。生活のための仕事から離れ、それまで培った経験や知識、人脈をフルに活用をしてこれから先の人々のため、社会のため、そして地球環境のための社会貢献活動です。人生100年時代となった今、より充実した人生を導きそのような活動をする人が増えれば社会は必ずやよい方向に向かうと考えるからです。そのための起業も一種の社会貢献となりえます。とちょっと自画自賛♪

さて私は今までの経験やノウハウを活かして皆様のお役に立てますよう、今日も一日頑張ります!

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