今年も3月10日が巡ってきました。ハレの日製作所では、毎年この時期になると東京大空襲についての寄稿を続けています。今年は、東京芸術劇場で開催されていた資料展を見学してきました。
東京大空襲とは、1945年3月10日未明、アメリカ軍のB29爆撃機によって行われた大規模な空襲です。大量の焼夷弾が東京の下町一帯に投下され、木造家屋が密集していた市街地は瞬く間に火の海となりました。一夜にして10万人以上が亡くなり、100万人以上が被災したといわれる、第二次世界大戦の中でも最大級の都市空襲です。特に強風にあおられた火災は猛烈な勢いで広がり、人々は逃げ場を失いました。
今回の展示は決して大規模なものではありませんでしたが、戦前の人々の生活、戦争へと向かう時代の空気、戦時下の暮らし、そして戦後へと続く資料が並び、実物を見ることで戦争の重みをより身近に感じることができました。
印象に残った展示の一つに、戦時中に発行された戦時国債がありました。当時、多くの人が「国のために」と信じて資金を拠出したといいます。しかし戦後、それらの国債は価値を失い、紙くず同然となりました。身近でも、戦後に大きな損をしたという話を聞いたことがあり、その現物を目にすると複雑な思いが込み上げてきました。
また、約10世帯を一組とした「隣組」の組織図も展示されていました。整った美しい字で書かれたその表には、人々が一致団結して行動していた様子がうかがえます。しかし同時に、それは互いを監視し合う社会でもありました。戦争という状況が、人々の暮らしや人間関係をどこまで変えてしまうのかを考えさせられます。
東京大空襲で焼けた着物の切れ端も展示されていました。布は黒く焦げ、ところどころ破れています。それを見ていると、炎の中でどれほどの熱さと恐怖があったのか、想像せずにはいられませんでした。
会場では、東京大空襲を体験した人々の証言をまとめたビデオも上映されていました。制作されたのは1990年頃、戦後およそ55年が経過した時期で、当時まだ幼かった人たちへのインタビューが記録されています。
疎開によって家族と離れ離れになった寂しさ。
焼夷弾が降り注ぐ中でも、家族と一緒にいれば不思議と安心できたという記憶。
空襲の夜、必死に逃げ惑った体験。
特に多く語られていたのは、空襲当日の恐ろしさでした。その日は風が強く、火の粉が火の玉のように縦横無尽に飛び交ったといいます。火から逃げようとすると、風にあおられた炎が追いかけてくる。逆に、燃え広がる方向を見極めて火の方へ走ったことで助かったという証言もありました。
河川敷には多くの遺体が横たわっていたという話もありました。
さらに、空襲を生き延びても、その後の心労から家族が次々と亡くなり、10歳でひとりぼっちになってしまったという人もいました。家を失い、親戚の家を転々としながら肩身の狭い思いで暮らした人もいます。それでも戦後は懸命に働き、生きてきたという言葉が静かに語られていました。
これらの証言を聞きながら、改めて強く感じたことがあります。
それは、これまでも発信し続けてきた思いと同じです。
私たちが今、誓うこと「戦争は、絶対にしてはいけない。」
歴史の中の出来事としてではなく、実際に生きていた人々の体験として語り継がれてきた言葉には、重みがあります。展示を見終え、体験者の声を聞き、改めて痛感したことは一つです。それは、私たちが日頃から発信し続けている信念そのものです。
「戦争は、絶対に、二度としてはいけない」
どんな大義名分があろうとも、幼い子供から家族を奪い、人々の生活と尊厳を焼き尽くす行為が正当化されることはありません。資料展で感じたこの「重み」を、私たちは語り継ぐ責任があります。平和な日常は当たり前にあるものではなく、過去の犠牲の上に立っていることを、この3月10日に再確認したいと思います。
展示会は3月18日まで開催されています。お近くの方はおでかけください。
当社へのお問い合わせはこちらから ↓
https://www.hare-no-hi.co.jp/blog/4048/
家系図制作について