ハレの日製作所は時代をつくる次世代に動画で「思い」を届けます。
どんな「思い」を伝えたらいいかをこれからは時々ブログに書くことにしましたのでよければお付き合いください。
1945年3月10日、東京下町をターゲットとした米軍の空爆が行われた。いわゆる「東京大空襲」です。それから今日でちょうど75年が過ぎました。
私は、大学卒業後、今はもう存在しない三洋電機に就職しました。当時、家電の輸出額は松下、日立、東芝を抜いて首位だった三洋電機に貿易実務をしたくて入社したのです。本社は大阪ですが、貿易部門の要が東京にありそこで勤務をしていました。
その当時の東京の総責任者である赤沼専務という方が、入社して約1年経った3月10日に東京に勤務している全社員を講堂に集め朝礼をしました。
その時、「これから話をすることの全責任は私が負う」と言って話を始めました。
それが、東京大空襲の話でした。
赤沼氏は、75年前の1945年、3月10日の朝、東京の下町が大変な惨禍にあったと聞き、翌日の11日、現在の上野末広町付近まで(おそらく地下鉄銀座線だと思いますが)どうにかたどり着き行き、その時に見た風景をつぶさに語ってくれました。詳しくは書きませんが、それはそれは悲惨な状態であったと・・・。戦争を知らない、私達世代にとっては初めて聞く、東京大空襲の実体験のお話でした。
それから、3月10日になると決まって当時の赤沼氏の東京大空襲の話を思い出します。
東京大空襲では実に死者数10万人、罹災者100万人以上と言われています。
[米軍は早いうちから日本本土の空爆を地政調査から東京の下町をターゲットとし、天候調査から季節風が強い日を選び火災被害を甚大にする作戦を実行した。はじめから民間人を殺戮することを念頭に置き作戦が練られていたのだ。米軍は人々が寝静まった0時10分に空爆を開始し実に38万1300発、1665トンもの焼夷弾をB-29爆撃機から投下をし東京の面積の1/3、41万平方キロメートルが消失したという。]
コロナウィルス感染で非常事態ですが、75年前の今日、10万人もの人が空襲により亡くなったことは語り継がねばならないことだと思います。
聞くのもつらい戦争の話ですが、「人間の英知で戦争は必ずや回避せねばならない」ということを語りついでいかないといけないと考えています。それが、赤沼氏から直接戦争の実体験を聞いた私の使命でもあります。もちろん実体験と同じようには伝えられるわけではありませんが、戦争により理不尽にも奪われる命がないことを願い、東京に暮らしている人間として、記しました。