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“ハレの日パーク”

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以前のブログにて知人のファミリーヒストリーブックについてお話しました。

詳しくはこちら↓をご覧ください。

ファミリーヒストリーブック その1 | ブログ – ハレの日製作所 (hare-no-hi.co.jp)

1891年生まれ、岩手県出身のこの方は、“世界にはばたきたい”という志をもち、上京して東京のキリスト教系のとある会にて知遇を得、シンガポールの医師と養子縁組の斡旋を受けたとのことです。シンガポールへ行った後、欧州、アメリカへと渡り事業を興し財をなしたとのことでした。

 

私とは縁もゆかりもないと思っていたこのヒストリーが実は父の経歴とつながったかもしれないのです。父は静岡県の出身なので岩手県とは縁もゆかりもありません。生まれた年も30年以上後なので時代も違いがあります。

ですが実は父も今で言う高校生の時にシンガポールへ渡り英語を学んだと聞いています。

 

静岡県といえども貧しい村の出身ですから、外国に行くほどの余裕があったはずもありません。父は三男坊だったので、きっと出稼ぎみたいなかたちでシンガポールに若くして行かされたとずっと私は思い込んでいました。あまりにその思い込みが激しかったので、何故シンガポールに行ったのかは結局聞かずに永遠の別れとなりました。

父はシンガポールにあった、イギリスのケンブリッジ大学の分校で学んでいたと聞いています。私はきっと親切などなたかが援助して勉学をさせてくれたのだろうと思い込んでいた次第です。

 

それが、今回のファミリーヒストリーブックを読み、もしかして父はこの方と同じく、もともと世界に羽ばたきたいという大きな夢や志があったのかも?と思うようになりました。

 

考えてみれば現地で学ばせてもらえ、しかもケンブリッジ分校へ行けたのも特別なことだったのかもしれないです。

ちなみに、このファミリーヒストリーブックの方は成績優秀ゆえ、すんなりと海外への道が開けたとのことでした。

えっ?と思いました。もしかして父も優秀だったのかしら?

だとしたら、生前もっといろんな話を聞いておくべきでした。

ただ大東和戦争が始まったため、帰国を余儀なくされたと聞いています。

 

キリスト教の教会の方々とも父は知り合いが多く、私が幼い頃よく日曜礼拝につれて行ってもらいました。父も私もキリスト教ではありませんが、きっと何かの縁で出かけていったのでしょうね。またその縁で商売もしていました。

 

今更本当に遅いのですが、面白い話がたくさんあったかもしれないと思うともっと聞いておくべきでした。

 

ファミリーヒストリーブックの制作はその家のものだけではなく、縁もゆかりもない他家の人の人生にもつながっていくかもしれません。

 

私の夢は、各家庭でこのようなファミリーヒストリーブック或いはファミリーヒストリームービーを制作してもらうことです。

想像だにしなかった様々なつながりや結びつきができるかもしれないと思い、それだけでワクワクします。

 

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